狂いについて

 狂うとは、理性の箍が外れることである。その点において、狂う人間というのは特段限定されない。人は誰しも理性を持ち、他方で誰しも様々な要因でその理性を喪う。狂うことは、人生において避けては通れない道の1つなのである。

 

 一つには、機能的な狂いがある。脳の機能が欠損、或いは異常が発生した場合である。アルツハイマー病かもしれないし、適応障害鬱病と言った精神疾患かもしれない。これらは老いや苦難と言った、運命的な苦難や試練、人生の通過点に起き得る事柄である。しかし、上手く生きる事ができれば、これらは無事見逃す事ができる。

 二つには、情緒的な狂いだ。一番有名なのは、色恋沙汰だろう。普段真面目で遵法意識がある人でさえも、ふた心のあるパートナーを刺殺する事は屡々ある。また、人間は感情を抑え込みすぎたり、逆に発散し過ぎたりする事でなんらかの狂いが見られることがある。所謂、ストレスである。これらの事柄は、経験や学習の中で自然と対処の仕方を身につける。狂いと言っても全ての理性が狂ったわけでなく、ただ特定の認知機能や価値観を少し曲げて物事を対処しようとした結果として、理性の抑えを一時的に外さざるを得なかったに過ぎない。部分的な狂いであり、熱しやすく冷めやすい特徴を持つ。

 最後に、人はふとした日常の微かな事象が狂いに繋がる事もある事を挙げねばなるまい。志賀直哉の『剃刀』という短編小説がある。このパターンの狂いを、最も端的に表現した作品である。

 『剃刀』は麻布六本木の床屋の店主である芳三郎の話である。芳三郎は、一回も剃刀でミスをした事なない剃刀の達人であった。しかし、その日彼は風邪で熱を出していて非常に具合が悪く、色々と調子が良くなかった。彼は体調の悪いのを押して、ある若者の客の毛剃りを行う。その途中、彼は咽の柔らかい部分がどうも上手く剃れず、苛立ち始める。彼は剃刀の達人なので完璧に剃りたいという気持ちから、もういっそ皮ごと削ぎたいとさえ思い始めてしまう。そこから狂い始めるのである。

 

 疲れ切った芳三郎は居ても起っても居られなかった。総ての関節に毒でも注されたかのような心持がしている。何もかも投げ出してそのまま其処へ転げたいような気分になった。もうよそう! こう彼は何編思ったか知れない。然し惰性的に依然こだわって居た。

 

(中略)

 

この時彼には一種の荒々しい感情が起った。 

 嘗て客の顔を傷つけた事のなかった芳三郎には、この感情が非常な強さで迫って来た。呼吸は段々忙しくなる。彼の全身全心は全く傷(芳三郎は若者の咽の皮膚を少し切ってしまった)に吸い込まれたように見えた。今はどうにもそれに打ち克つ事が出来なくなった。……彼は剃刀を逆手に持ちかえるといきなりぐいと咽をやった。

 

『剃刀』 志賀直哉 明治四十三・六月

 

 芳三郎は二つの原因で狂った。一つは、完璧主義である。彼の「絶対にミスをしない」という主義は、ミスをした自分の首を絞めるロジックになってしまった。二つには、風邪の熱である。彼は熱で手が震え(そう書いてある)、意識が朦朧としていた。その状態であっても完璧を追求するあまり、理性を守っていたものが壊れてしまったのである。

 熱で狂ったと言えば、機能的な狂いに見えなくもないが、機能的な狂いというのは脳の機能障害の話であり、ここでの熱というのは思考判断がズレる要因になったに過ぎない。あくまでも狂ったのは、彼の築き上げてきた完璧というブランドであったり、風邪体調不良であったり、偶然客としてきた若者であったり、何かと日常的な要因なのである。人はこうした日常的な要因によってさえも狂い、人を殺めたり禁忌を犯したりしてしまう。


 これらの狂いは全て人生の中で必ずある。これらを耐えられない者から脱落していく、という弱肉強食の世界が人生である。

  全ての狂いは一瞬である。しかし、一方で一瞬に見えるの全ての狂いも、その前には本人が意識していないだけで狂いを溜める時間がある。結局、狂いとは、積み重ねや運命と言った前から用意されたものの結果の一つに過ぎない。それならば防ぎようがない。しかし、我々に必要なのは備えではなく、狂いを耐える力である。まずは、誰しも狂う事を学べばなるまい。東大を出ようが、金持ちの子どもになろうが、狂う時は同じである。何で狂うかすらも当人には観測出来ず、気づかぬ間に狂いのゲージは溜められている。狂いとは平等である。

 

 狂いの対処方法として、先に狂っておくことがある。特に学生という期間は、時間もあれば、ここでの失敗は人生に大きく左右されない確率も高い。学生の間に狂い、狂いへの耐性をつけておく。私が言える狂いへの提言がこれだけである。

 

 最後になるが、まだ上手く言語化出来ていないにも関わらず、今回拙くも投稿した。今後上手く「狂い」について体系化出来たら、改めて投稿するつもりである。今回は論理や分析、言葉の当てはめに、少々のミスがあると書いていながら思った次第であるから、あまり強く共感することはないように。寧ろ批判を歓迎している。