松本猛反省

 

 土曜日の朝、僕は自宅のトイレで紅黒い吐瀉物を吐いていた。僕といえば、酒を飲んでも吐かない事が一つの特徴なのだが、その日は便器に平伏し、オメオメと生き恥を晒しながら屈服し、身を屈めて嘔吐していた。

 そもそも吐くのが嫌いで、子供の頃からノロウイルスになっても中々吐かなかった。過去に酒で吐いたときと言えば、「と●わ亭失踪事件」と「7缶のスト●ロ事件」の2回だけだ。この事件の詳細については、僕のことを好きで好きでやまず、僕と仲良しの、このブログを読んでいる君たちにとっては常識かもしれない。ので、詳細は割愛する。

 

 では何故僕は吐いているのか。どうしてゲロは紅黒いのか。僕はその事に頭が回る前に、神様と友達と世界と、それとこのかつて美しく良い香りのしたはずの料理たちに対して、深く陳謝し、赦しを乞うていた。「ごめんなさい。もう二度とこんな愚行はしません」、と。

  この経血のように紅黒い吐瀉物は、かつて目黒のロシア料理店で、美味しいボルシチだったはずなのだ、と言うことに頭が回り始めて、僕は事の顛末を概ね理解した。

 謝罪と罪の烙印を兼ねて、ここにそれを記そうと思う。少しだけ反省、いや、かなり反省、いや猛反省、猛反省。猛反省なのだ。

 

 

 そもそも僕がゲロを吐く原因は───原因と言うと、どうも“客観的な”理由に聞こえる、言い方を改めよう───、つまり僕が犯した大きな過ちの始まりは、遡ると1週間前になる。 

 

 丁度1週間前、丁度バレンタインの日だ。バイトのシフトを提出した時、ふと来週の飲み会の予約をしなくてはいけない、とハッと思いついたのだ。

 他のメンバー3人は慣れ親しんだ5年以上の付き合いの友人で、あいるぅととっけーとしのかがくんの3人だ。ここでは詳しく紹介しないでおくが、温厚で優しく篤い心をお持ちの素晴らし友人とだけ紹介しておく。僕はこの三人と会う事を心の底から楽しみにしていた。

 しかし、その時ハッと思いついたのは寧ろその逆の気持ちで、ムスッとした小さな苛立ちだった。何故かと言うと、前回そのメンバーの一人のあいるぅ君が予約をし忘れたばかりに目的のお店に入れず路頭に迷った記憶がふと蘇ったからだ。

 本来、僕はこうしたタチには寛容な方だった。その飲み会の日も笑って許して、別の店に行ったのだ。しかし何故かこの時ムスッとした気持ちになっていたし、金曜日の飲み会当日もそうだったかもしれない。

 しかし、こうして全て吐き出して見れば(食べたものでは無く、僕の真裸の気持ちを)、別に人が揃えばどこでも良いじゃないか、と思うのだ。実際、前回はトラブルこそあれど楽しかった。だと言うのに、僕は「予約をとり忘れて入れなかった」という一点の記憶のみに拘泥して、「今回は僕がしっかりせねば」という気持ちをモクモクとこみ上げていた。ここが、僕の最初の過ちだった。予約した結果、ちゃんと美味しいロシア料理を楽しめたのは良かったにしても、ここで、「僕が何とかしなければならない」という変な生真面目さを出してしまったのが──往々にして、こういうお節介な感情はいい事に運ばない───事の発端であった。

 

 それから、僕の心中にはもう一つ無駄な澱みがあった。冒険者的拡張主義と呼ぶものである。冒険者的拡張主義とは、自分の活動範囲や交友関係などを新規に開拓し、その中で大きな刺激だったり新たな気付きであったりを垣間見ようという考えである。男児であれば誰しも抱く気持ちかもしれない。

 このところ僕はこれに囚われていた。というのも、大学やネット、職場の環境は最早硬直化していた。その対抗策として、新たな刺激がふんだんににあるはずの就活という競争の場に身を置いたにも関わらず、なんと就活は1月上旬で終了という拍子抜けの有様。故に、何か新しい刺激に、強い刺激に、僕は飢えていたのだ。

 そんな僕にとって、安寧秩序、平和主義、古い付き合いの友達、こういったモノは全て微温湯同然であり、あまり魅力的には見えなかった。  そして、この今回の飲み会は正しく平和そのものであり、古い付き合いの友人の集まりであり、彼らの事が決して嫌いというわけではなかったが、何か物足りなさを感じていた。今僕が欲しいのは“刺激”なのだ。

 実際、彼らは全員どちらかと言うと温厚な人たちであり(温厚だからこそ、僕みたいな凶暴な四国犬みたいな人間と長く付き合えるのだが)、会話のペースもスローペースである。ここ二週間ほど、血気盛んな後輩や所謂陽キャと呼ばれる人たちと飲み歩いてた僕は、の雰囲気のままのハイペース&ハイテンションで飲んで会話しようとしていた。良い言い方をすれば、「盛り上げよう」としていた。ただ、そんな言い方で肯定するつもりはない。何故なら、僕はその場において正しく場違いの気●いであり、もっと身の程を弁えて振る舞っておくべきだったのた。

 

 僕がこれまで説明した「拘り」と「刺激への渇望」という二つの事を他の三人に理解して欲しいという気持ちは毛頭ない。理解したとして何の解決にも運ばない。僕がここで言いたい事は、この今までの前提を僕自身がまず理解しおくべきだったはずだったことであり、故に酒をドバドバ飲んで、下品な話で笑いを取って、場を盛り上げようなどと考えるべきではなかったのだ。前回はクイズで盛り上げに成功したが、今回はそのエンターテイメントへの真面目さが大空回りしてしまった。

 

 

 さて、この二つの危険な感情を孕んだままの僕は何の疑問も抱かずに、愚かにも当日を迎えた。

 当日、僕はまず後輩と昼間から二郎に行った。これもいけなかった。もしここで腹いっぱい食っていれば、自ずとその後のロシア料理屋での飲食量が減るはずだった。しかし、今回行った環七新代田駅二郎はそれほど量も多くなく、結果として消化器官にただ負荷をかけただけであった。その後ピクミン(スマホアプリの為に)の為に新代田駅から駒場まで雨の中1時間半ほど散歩した。これも良くなかった。ただ体力を無闇に消費しただけだった。平生であれば、これくらいの散歩大したことないが、ここ二週間の飲み会や連勤で身体は見えない所で疲弊していたに違いなく、ここでの体力消費は明らかに悪手だった。この時点で、僕は、心のコンディションも最悪な上に、身体的なコンディションも最悪の状態で飲み会へ乗り込む事が確定していた。ただ、当の当人は慢心と愚かなる冒険心(今日は予定が沢山あって楽しいぞ!と思ってた)に満ち溢れ、何の疑いもなく新宿へと向かった。この時、「今日は体調悪いし、明日予定あるし、ちょっとだけ飲んで早めに帰ろう!」と思ってさえいれば良かったのに。

 その後、17時頃に3人と合流し喫茶店に入った。これも良くなかった。ここでブラックコーヒーを飲んで(僕は大のカフェイン弱者で、コーヒー1杯で胃が大荒れになる)、胃がイタイイタイなのだった。ここまで全て二択を外す選択をしてしまった。そして、ロシア料理屋での振る舞いは……もう今まで説明したすべての悪い所が出ただけである。しかも、コレは料理店のせいにするわけではないが、本当に飯も酒も最高に美味しかったのだ。飲む手、食べる手が止まらなかったのである。僕は盛り上げようとハイペースに会話を続け、酒を飲み続け、終いには記憶を喪った。記憶にあるのは白ワインの二杯目を飲んだあたりまでで、それ以降は本当に覚えていない。大体何をしたかは分かったが、生憎記憶がない。一応言うと、断片的には意識があり、最寄りから家までタクシーに乗った事と店を出た後に隣の席のおねえさん二人に声をかけられた(とっけーさんは迷惑そうにしていたが、僕とあいるぅが対応した。)のは覚えている。

 しっかりとした記憶があるのは朝からで、あまりの気分の悪さにすぐさまトイレに駆け込んだ。そこで大体の事の顛末を、断片的な記憶のピースを当てはめながら頭でグルグルと理解した。そして、トイレで紅黒い吐瀉物を吐き続けていた。体調自体もあまり良くなかったので、シャワーを浴びたあとは味噌汁を飲み、ES添削の予定だけ消化し、あとは何もせずただ寝た。謝るのが先だとは思っていたが、どうも僕は滅多に吐かないタチで、吐いただけで喉が焼け切れる様に痛くて何も出来なくなってしまうのだ。本当に申し訳ない。

 

 最後になるが、今回迷惑をおかけした皆様、特にしのちゃん、とっけー、あいるぅ、ロシア料理屋の隣の席のおねえさん二人、れな、タクシーのあんちゃん、母親、本当にすみませんでした。1ヶ月の禁酒をここに誓います。

2024/02/25 松本 猛

 

禁酒期間2024/02/25〜2024/03/25