バズ分析───幸ちぇると依翠の比較───

 

 

  最早痴話喧嘩や面白い話題すら無く、人住まずの荒野と化した我が界隈に幾年ぶりかの灯火が点っている。ここ数日話題になっている@1xwn_ こと依翠君と@nyahapi こと幸ちぇる君のことだ。時同じくして、お二人とも女性インフルエンサーにキモいリプライ(怪文書)を送りバズっている。

 しかし、同じ事をしているのに、その反応の大きさには雲泥の差がある。インプレッションやいいね・リポストの数で目に見えて分かるから、殊更説明する理由もないだろう。ちぇる君の怪文書が如何に凄くて、依翠の怪文書が如何に蛇足が多いかを明らかにしようではないか。

 

・幸ちぇる怪文書

 

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↑上が幸ちぇる氏@nyahapiの怪文書、下が依翠氏@1xwn_の怪文書

 

 では、まず幸ちぇる君のポストを見てみよう。

 

かわい。かりんちゃんのおめめ...キュポンッと手に取って…ぼくの舌の上でアメ玉みたいにころころと転がして味わってみたい。かりんちゃんが18年間そのおめめで見てきた景色はいったいどんな味がするんだろね。

 

 まず、目に入ってしまうのは「キュポンッ」という擬音である。独特の擬音が思わず頭を巡る。続けて書かれている通り、思わずアメ玉やラムネのビー玉の様な丸くて淡い色をした、ガラス状の球体が脳裏を過る。これだけ見れば、夏の黄昏時に村の神社であの娘からもらった情緒的なアメ玉を思い浮かべてしまう表現である。しかしそうではなくて、なんとこれは人の眼球である。古今東西漁れば、「女性の眼球を取ってしまいたい」みたいなサディスト的な性癖は無い訳ではないし、サイコパスに憧れる中学生であれば思わずポストしてしまうな気もする。ただ、そうした場合、普通はグロテスクな表現になってしまうわけだ(だから陳腐なのだ)。しかし、先述した通り、かの文は淡い色のアメ玉さえも呼び起こす詩的な表現力によって読者に感傷を引き起こし、文の内容自体にあるグロテスクさ・パラフィリア的な性格を打ち消している。アンビバレントな情報の交錯は脳にたちまち混乱を呼び起こす。カオスは、インターネットでは美の一つである(「情報量の多い画像」みたいなのを思い浮かべてほしい。)。

 ここだけでも十分バズる文章である。イカれた修辞と内容が交互に脳を掻き回す、空に絵を描く如く神業である。かの文章が「キモい」のは正にこうした高度な技術の賜物であって、誰にも為せる所業ではない。

 そもそも今の時代、Xのpostを一文一句全て読んでいる利用者などいない。だからこそ、最初の数文字で決定打にしなければバズらない。しかし、ここの最初の二行だけで、読者の脳は魔法瓶のために化石されたようなものである。まさに無量空処、現代に生きる天才である。ここの時点で既に私は脱帽し、彼の軍門に降る他なかった。───しかし、文章は続く。

 

 衝撃のアメ玉の次には、「どんな目の味がするのだろうか」という趣旨の事が書かれている。ここで「目に18年間蓄積された景色」というワードが出てくる。何と言う叙述能力だろうか。最早、私ごときが言う月並みな批評さえも安く思える。「目の味」というカニバリズム的な内容なのに、どうしてこれ程までに淡い青春の様な表現が出来るのだろうか。もうこれは天賦の才と言わずして説明不可能である。

 

 最後に、一つ思った事を実践してみようと思う。「女性の目玉」が主題なせいでキモいけれど、それこそ「ビー玉」を主題にすり替えたら、それなりにしっかりした詩になるのではないだろうか。

 

 


 かわい。かりんちゃんがくれたビー玉…

 

キュポンッと手に取って…

 

ぼくの舌の上でアメ玉みたいにころころと

転がして味わってみたい

 

かりんちゃんのそばで18年間見てきた景色は

いったいどんな味がするんだろう

 

ちょっとキモいけど現代詩だろこれ。彼は浪人してないで詩人になった方がいい。

 

そして、驚くことに、この彼のポストはここまでが前菜である。かなり書いたのに、である。私の様な凡夫が10年経て磨いた様な文を、なんと前菜にするのである。醍醐味はこのツイートの後に続く。

 

 

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 今の今までの怪文書は壮大なフリであった。「怪文書を送りつけた女性に見事にブロックされる」というのがオチである。

 そして、このツイートは文字通り万バズしている。何故彼が万バズを量産しているのかがよくわかる。壮大な前フリに、バカでも分かる「キモいことしたら女の子にブロックされた」という綺麗なオチ。140文字も読めないXユーザー向けに、画像2枚気持ちばかりの文。10人の批評家を感心させるだけならば、最初の怪文書だけでいい。しかし、万人を笑わせるにはエンタメが必要であり、分かりやすい情報(写真)が必要である。彼はそれを理解しているのだろう。  

 その後に続くポストも多くは語らず、燃える火に適度に薪を焚べるのみ。もう改めて他に述べるのが野暮なくらいだ。流石に恐れ入ったと言わざるを得ない。幸ちぇるさん、あんたは正真正銘インターネットの神だよ。

 

・依翠の怪文書

 

 さて、お次は同じパラノイアでも秘めた才能が無いパターンの文章を読もう。

 

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ゼパ、僕が辛い時いつも君を見るよ。
僕にとっての癒しだ。
なぁ、ゼパ良ければ僕と結婚してハネムーンを築かないか?
君が不幸になることは一切ない、強いて言うなら僕がニートで働けないからお金は全てゼパ持ちだ。


頼む、考えてくれ。僕は真剣だ

 

 以前彼の英語ツイートがまんま機械翻訳という体で嘲笑した記事を書いたのが記憶に新しいが、彼は日本語の方も機械に頼っているらしい。

 まず、「ゼパ、僕が辛いときにいつも君を見るよ」である。読んでるこっちが辛くてゼパを見たくなってしまう文ではあるが、ネットではこうした初歩的な文法が乱れている駄文で笑う風潮があるので結果オーライである。

 「ゼパ、僕は辛いとき、いつも君を見るよ」の方が読みやすいが、彼なりの文学があるのだろうか。それにしても助詞の使い方が可笑しく、小学校の作文を読んでいる気分である。 

 次に「なぁ、ゼパ良ければ僕と結婚してハネムーンを築かないか?」を見てみよう。ここでも読み辛い。彼は言語野をアイロンで焼かれてしまったのだろうか。あまりの読み難さにストレスが溜まり、心の中の戸塚ヨットスクールが彼に体罰したがるほどだ。「なぁ、ゼパ。」で一回区切り、続けて「良ければ僕と結婚してハネムーンを築かないか?」の方が遥かに読みやすい。因みに「ネムー」とは、新婚旅行の事である。「ネムーンを築く」はコロケーションとして正しくない。比喩的に「築く」を使ったのか、或いは敢えてのこのミスなのか、それとも言葉の意味自体を勘違いしているのか……だとしても深い意味を見いだせない陳腐な文である。こんな訂正を何度もしていると、さながら夏井先生の気分である。

 さて、最後に「君が不幸になることは一切ない、強いて言うなら僕がニートで働けないからお金は全てゼパ持ちだ。」を見ていこう。「不幸になることは無い」と振っておいて、「お金は全てゼパ持ち」という即落ち芸をここで演出。Z世代は最初からサビ無いと聴かないぞ?やっとここで及第点だ。面倒くさいから日本語の添削は検討だけにしておこう。

 

 さて、大体読んだところで、この怪文書の大枠を明かしていこう。

 まず、この怪文書のテーマだが、「ゼパへの求婚」で間違いない。もしこれでテーマが「正しい日本語」とかだったら、百田尚樹もひっくり返って死ぬだろう。

 上述の幸ちぇるの時にした試みをしてみようと思う。つまり、表現や中身を少し変えてみたら、どうなるのか。要は、意味を通しやすいように変えてみたい。

 

ゼパ、僕は辛い時、いつも君を見るよ

僕にとっての癒しだ


なぁ、ゼパ

良ければ僕と結婚してハネムーンに行かないか?


君が不幸になることは一切ない

強いて言うなら僕はニートで働けない

だからお金は全てゼパ持ちだ


頼む、考えてくれ

僕は真剣だ

 

言ってることの内容が薄すぎる。おばあちゃんの味噌汁かよ。彼の文法的な誤謬が悪い意味で個性になっていたので、笑えただけだった。“笑”と言っても、嘲笑だ。幸ちぇるが現代詩だとしたら、依翠はチンチンだろう。

 センスも、技巧も、基礎教養も無い、カスの激イタチンチン丸が何故バズったのか。答えは、彼のハンドルネームとアイコンにある。彼のハンドルネームとアイコンが、有名邦ロックバンドの『Vaundy』だったからだ。依翠自身としては成りすましのつもりは毛頭無かったらしいが、これでバズった理由が明白になっただろう。つまり、有名邦ロックバンド『Vaundy』がインフルエンサー“ゼパ”に対してカスの激イタチンチン丸な文章で求婚しているように見えたのが面白かったから。

 依翠くん、君自身に実力もセンスも技巧も努力も全く無いおかげで逆説的にバズったんだよ。良かったね!空っぽの人生のおかげでバズれて!

 

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↑空っぽで器が小さいので、引リツして注意した来たちっせぇ奴に一々反応している依翠くん

 

 

・総括

 

 いかがだったろうか。同じバズり方にも何通りものバズり方がある。依翠が外的要因に依存しているのに対して、幸ちぇるは自身の巧みなレトリックや誰にでも分かりやすい施しをしている。こうした微細な差異が、SNSで如何にヒットするかの数字として現れるのだ。実際、依翠が3500いいねなのに対して幸ちぇる25000いいねで、関連ツイートも含めれば30000は優に超える。それぞれがリプライを送った相手のフォロワー数で比較しても、幸ちぇるの方が優勢と言えるだろう。現代の異能、インターネットの申し子と比較された依翠は少々可哀想ではあるが、改めて自分が何も持ち得ない事を自覚して、前に進めたら幸いである。

 

 最後までお読み頂きありがとうございます。もし批判・反論・違う読み方がある……等々あれば是非御教示頂けると助かる。

 

松本